10 o'clock

10:00のブログです。楽しみの話など。

楽しい経験のおかげで楽しめてる

楽しくないことを楽しめるというのはいいことなんだろうな。

オレ語りしますよー。

わたしの仕事ってまあ事務職でして、業務時間のほとんどがEXCELというまったくもって特別じゃないものです。覚えちゃえば誰でもできる。経験に基づく蓄積とかありますので、そこそこ早いしいくらか融通が利くという点のみでわたしに任されてるものです。

面白くないだろうと言われますし、実際に経験した人はめんどいだけといってはりました。誰もやりたがらないのでわたしに回ってきてるタイプのものですねw

そういう仕事の積み重なりでおまんまいただいてるわけですが、これが楽しくないかといえば、そうでもなかったりします。職場の人間関係に恵まれているなど、業務内容以外のやっかいごとがないのがすごく救いになってると思うのですが、いろんな「しばり」をいれることによって、ゲームをプレイしているかのように楽しめたりしまして。

この書類は30分で仕上げる。この仕事を30%簡略化する。わかりにくい作業を誰にでもできるように落とし込む。こういうタイミングでこういう路線のデータを要求されるので先読みして準備しておく。

別にこんなこと要求されてないのですが、そういう計画を入れることによって、小さな達成感が味わえまして、次の作業へのモチベーションになったりするわけです。

気分的にはゲームをやってるときのようなあの達成感が味わえてお徳だなあ、と自画自賛。

ノってるときはよっしゃー、よっしゃー言ってるので、まわりの人には迷惑かけてると思いますw なんか遊んでるみたいで気が引けるので、職場の人には言ったことないことなんですけどね。

いろいろアウトソーシングやらシェアやらが普及してきて、誰でもやれる仕事は減っていくのが現実だと思いますが、いろいろ面倒な積み重なりがあって、そうもいかないものも残っていくんじゃないかなと思ったりもしています。面倒で手間かかって、準備が必要なものは外に出せないでしょうし。

そういうものをそこそこのクオリティでできる人はしっかり立ち位置を得られたりするかも、と思ったりするので、幅を広げつつ、仕事がんばったりしようかな、と。

そういう、楽しむための下地づくりというか、引き出しみたいのを学生時代に作っておければいいんだろうなあ。世の中いろいろ暗いけど、前向きにいろいろ楽しむことに積極的な人の時代なのかも。

わたしはそういう人でなかったしなにもしないのが好きなグータラでした。
仕事を楽しむことの下地になってるのはなにかなと考えてみると、子供時代にひたすらゲームしまくったことが活きてるのではないかと、さやわかさんの著書を見て強く感じました。

僕たちのゲーム史 (星海社新書)

僕たちのゲーム史 (星海社新書)

書き換え500円の価格破壊を起したディスクシステムのゲームとか、ほとんどやったんじゃないかな、と思うくらいやってました。週一で新しいゲームとかやってましたし。
この本のゲームの定義のひとつ、「ボタンを押すと反応する」というのは、業務ソフトでも一緒ですしねw

本当は楽しむための下地作りとか、公園で遊んだりクラブ活動やらで学ぶものでしょう。そういうことをあまりできなかったわたしにもできてるということは、ファミコンのゲームがしっかりと必要な体験を教えてくれたのでしょう。

最近はほどんどゲームやらなくなったけど、任天堂をはじめとする製作者さんがもたらしてくれた経験は、たしかに血肉になってるなあ、と。親に一番感謝ですが、ゲームにも、そしてそれらを作り上げたクリエイターにも、それらをわたしのもとへ届けてくれた営業さんとショップにも感謝しないとなあ、とつくづく感謝です。

今の仕事は好きかと言われるとそうでもないですが、好きなことから得た経験で楽しむことができてます。仕事を楽しめている人、楽しめてない人、みんなどうですか?