10 o'clock

10:00のブログです。楽しみの話など。

フォントの偉大さを知る

アイマスの過去を調べる過程で、ネットの事件みたいのを見る機会ができまして、いろいろ見てたんですが。

ネットの普及でフォントというか活字が、民間というか一般人というか誰にでも、発信のツールとして使える状況になったことはすごい事件なんだなあ、と思えてきました。

煽り記事とか悪質な編集記事とかがある程度訴求力を持つのは、活字の持つ美しさやら読みやすさやら頭に入りやすさが結構なところ影響してるように感じます。手書きの文字で伝わってしまうことって、文書の意味以外でもいろいろありますから。

放送とかで生声だったら、嘘ついてるとか勘違いしてるとか、素人レベルでも結構なところわかりますしね。

黎明期なら意見そのものに集中して判断できるということは利点だったと思うのですが。

わたしのこの記事もたぶん手書きなら読んでもらえないw

みんなフラットな関係はいいことでもありわるいことでもあり。

キーボードの便利さになれてしまったし、容量も食うだろうし、手書き関連の技術は進歩しないと思いますが、国とかの手が入ってしまったら、初心者やら若年者保護のために「ネット開始1年間は手書き」とか入っちゃうかもなあ、とかよくわからないことを考えたりもしました。いい大人があらかさまに子供なエントリやら書き込みに対して憤ることもないだろうし。

誰もがほいほい活字打ち出したのって、ネット普及以降でしょう。タイプライターがあった英語圏はともかくとして、日本では思っている以上に影響あるんじゃないかと思いましたです。気をつけないと。