10 o'clock

10:00のブログです。楽しみの話など。

真ん中と端っこ

通勤とか外出先で人間観察してると、なんというか、自分の立ち位置見失ってる人が多いとか思ったり思わなかったり。

荒くれの大先輩方(見ず知らずの人に老人とか使うのは気がひけますw)とか、ちょっとアレなお子様方とか、おおざっぱな大人の方々とか、メインロードをつっぱしってるつもりがどうもズレちゃってて、それがいろんなところでノイズになってるように感じます。

世間の渦の中心から外れたところで様子を見てるような姿勢で人生歩んできた自分のような人間からすると、なんかセンターに寄せられてるようでちょっぴり不快感というか不安感。

テレビ見る時間が減ったから余計に思うのかもしれませんが、世間からセンターライン的なものがだいぶと消失していってるような。ノマドの人らをフリーターの再来てきな指摘されてるエントリだったかニュースだったか見たんですが、妙にひっかかっていろいろ考えちゃって。

フリーターって、大学→就職のメインというか王道ルートに対するカウンターみたいな、あえて選ぶみたいな感じあったけど、喫茶店で仕事してるアレな人らってそういうのないでしょう。ちょっとしたきっかけでするっといってるような。

メディアの人たちが特定のグループなり人物をやたら持ち上げたり貶めたりするもの、センターラインというか、軸を失った世間に対するあがきみたいなものに見えてきました。反体制とかやってた人って、体制がなくなるとなにもできないでしょうし。そういう人、メディアに多いでしょ。空気読む能力がやたらと重視されるのも、軸を失って多ベクトル化した世の中に対する、一番の処方箋だからなのだろうなあ。本当は空気じゃなくて風を読まないといけないと思うのだけれど。

時代を引き戻すことは不可能であることは歴史からもわかってることなので、時代にあった柔軟性にとんだセンターラインというか、王道みたいのが生まれてくるのかな、と思ったりしてます。

日本人全員がプロデュースされる存在だった昭和時代から、日本人全員がプロデュースする時代に変わっていくのだろうなあ。あっちふらふら、こっちふらふらするので、いろいろ余裕を持って対応できる知識なり技術がこれまで以上に必要になるかもしれない、なんていいつつ終わる。