10 o'clock

10:00のブログです。楽しみの話など。

昭和のプロレスファンの気持ちの整理はついてるのだろうか

東方プロレス関連の動画見ているあいまに、昔のプロレスの動画とかでアップされてるものを見たりしています。

高橋さんのあの本とかを読んだのが、ほぼプロレスから離れているときだったので、継続的にプロレス見てる人たちのような衝撃は受けてないのですが、1999年を無事終えてしまったときに感じたあの気持ちと同じものを感じたのは覚えてます。まじ死ぬと思ってたので。

今のプロレスは見ててしんどいけど、昔のプロレスを見てるとやっぱ面白いんですよね。でもどこかにひっかかりがある。でもストーンコールドとかのWWF→WWEの試合を見ているときはそんな気持ちは感じない。日本のプロレス見てるときだけ。

子供心にテリー・ファンクの熱いファイトとかみて泣いてた自分には、どこか裏切られたような気落ちがあるんだろうな、と思います。比較するのもおこがましいですが、終戦のときに時代がきりかわっちゃったあの感触の超レベル低いやつ。

わかっていただろ、と思っていても当事者からのこうだったんだよという証言はあまりにも重かった。見たらわかるんですが、どこかで信じていたかったんだろうな、と思います。頼みの綱が切れちゃってふらふらしている状態がずっと続いてる。

戦争経験者の祖母は結構重い病気してるんですが、ねばりがすごくてまだ生きてはります。固有名詞とかわからんようになってるみたいですが、やせ衰えても気持ちは死んでいない。

結構な年齢の方がPCとか使いこなしている事例とかあるのに、50代の人とかがぜんぜんそういうの駄目だったりしている。珍しいから目立ってるだけかもw でもまあ戦争経験者はハンパない。気持ちの強さが別格、というのがわたしがお目にかかった大先輩方の感想で。

その気持ちの強さは戦中のつらい体験もあると思いますが、やはりあの終戦にあるのじゃないかな、というのが感想で。

いままで○○だったのが実は××でした、という経験は乗り越えられればより強くなれる試金石なんじゃないかな、それならばプロレスへの思いもうまく消化したいな、とずっと思ってます。

自分をだまし続けてる人、まだいるんじゃないかな。

これからは△△しましょう、の有効な答えがあるんじゃないかなと思って、いろいろプロレスの過去の試合見てますが、もしかして間違ってるのかもしれないとも思ってます。ラブアンドピースの歴史とか見ていった方がいいかな。

他のプロレスファンはどうやって折り合いつけてんだろうなあ。